記録と日常

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対話型美術鑑賞の面白さ

対話型美術鑑賞ファシリテーターの研修を受け始めて6か月。ちょこちょこ参加できる鑑賞の現場にも立ち会い、日々学ぶことが多い。先日は、小学生相手にアートカードリーダーを実際に経験させてもらった。

 

アートカードというのは、美術館の所蔵品をカードにして手軽に作品閲覧できるようにしたもので、国立美術館をはじめ多くの美術館は、所蔵品でアートカードを作っている。対話型美術鑑賞プログラムでは、実際の作品で鑑賞体験する前にこのカードでゲームをする。美術鑑賞が初めてな子どもたちにはカードは手軽だし、身構えることなく、絵に触れあってもらい、絵を見て、見たこと感じたことを気軽に口にしてもらう練習にもなる。

 

yokosuka.artcard.info

 

例えばこれは横須賀美術館のアートカード。カードは美術館によっては市販されていることもあるし、たいてい展覧会ではポストカードが販売されているので気に入ったものをあちこちで購入して集めてアートカード遊びっぽいこともできるかなというのは私が勝手に考えたまた別の話。

そもそも子どもたちの美術鑑賞のお手伝いするということで、ファシリテーターの研修を受けはじめたのですが、自身の美術作品に対する態度がだいぶ変わりました。美術作品の楽しみ方って、よくわからなかったというのが本音で。専門に勉強してて知識があっても「見ることが楽しい、よかった」っていうのは実はよくわからない。作品を知ってる、好き嫌いを感じる、見えたものを楽しむ・味わうことはどれも鑑賞ではありますが、私が一番わからなかったのが「楽しむ・味わう」ということでした。どうしても作品が表現してること・作者の思いを読み取るとることが正解だと思いがちだったのです。でもそんなの作品を漫然と見てるだけじゃ、わかんないんですよね。まれに、ものすごいパワーを発してる作品もあって、そういうのは圧倒的な世界観を突き付けてくるんですけど、だからってそれを見て楽しかったとか、味わったとかにはならない。せいぜい、考えさせられた、くらいかな。

 

それが対話型鑑賞では、作家の思いとか背景とかは置いておいて、まずはそこに存在してる作品と向き合う。そこに描かれているものについてだけ。他の鑑賞者やファシリテーターと対話することが、自分と作品の対話の助けになっているんじゃないかと思うようになり、対話できた作品には親近感もわく、友だちのように作品に会いに行く、という感覚もおぼろにわかる気がしてきました。ここまでくると、鑑賞が結構楽しくなってきます。それがちょっと地味な小品であってもです。

 

対話型の鑑賞の仕方は、一見初心者向けの教育的な手法だなと思ったのは早とちりでした。作品が発してる声、雰囲気、パワーを鑑賞者が「こう思う」「こう感じる」「こういうものが描かれている」と言語化した後、こんどは、ファシリが、この作品はこういう声を発している、こういうことなんじゃないか、ということでしたね、と鑑賞者の発話を納得感ある形で場に返してやる。場で認識を共有して、こういう作品を自分は鑑賞した、こういう気持ちになった、楽しかった、新しい発見をしたという気持ちになって帰ってもらう。そういう場が対話型美術鑑賞なのかなと思いました。

 

鑑賞者に「見てよかった」という気持ちを持ち帰ってもらえるような場を作れるファシリテーターになるには、自分が作品と対話できている、人の話を聞く、言葉に敏感になる、場の設計、作品選びが大事だということは、研修を通して実感してきました 1.何が起きているのか? 2.どこからそう思ったのか? 3.他に気づいたこと、感じたことがあるか? 質問はこの3つだけ。誰でもできるけれど語られる言葉が作品の世界観から離れていかないように、ときには作品の世界に引き戻すことも必要。ファシリテーターには結構難しいスキルが求められていて、毎度、場の振り返りではよかったこともいっぱいでるけど、次回への課題もいっぱいでます。一期一会で、思わぬことも起こりますしね。チャレンジしがいもあるしおもしろい活動です。