記録と日常

学びと活動とつぶやきと。

【映】水俣曼荼羅

ジョニー・デップの『MINAMATA』は写真家ユージン・スミスと伴侶アイリーンの伝記的フィクションだった。これを見に行ったとき、始め、ドキュメンタリーを期待しながら、いやこれはフィクションと打ち消す自分があった。どう見ていいのかわからない違和感をもちながら、最後はストーリー映画だったなと見終えた。なんとなく消化不良だった。

 

そして、『水俣曼荼羅』というドキュメンタリー映画を知る。浅学にしてドキュメンタリー映画監督原一男は知らなくて。「水俣」つながりでこれは見ておかないとという気持ちになった。

docudocu.jp

 

しかし、休憩を入れて7時間の上映時間…

 

正味6時間というとてつもない長さに尻込みしつつ、ここで見逃したらこの先見る機会はないだろうと勇気を出して見に行った。ところが、そんな不安はすぐに吹き飛ぶ。登場人物はみな画面の中で魅力を放ち、それぞれに愛おしい大切なストーリーがあり、何より面白い。どんどん引き込まれた。

上映終了後、思いがけず監督の舞台挨拶を聞くことができ、パンフレット代わりの『製作ノート』にサインをもらえたのもラッキー。

原監督は挨拶の中で、この映画は、見る人によっていろんな見方があって、ツイッターで感想をみると「この映画は恋愛映画だ」と言う人もいれば、「祭り」だと言う人もいる。「バディもの」という見方もできる、と言っていた。なるほど。確かに。ドキュメンタリーだけどもエンターテイメント的に楽しめる。監督もそういうふうに作ったと自信を込めて語っていた。

 


f:id:sasorizano:20220122180540j:imagef:id:sasorizano:20220122180555j:image



それにしても…
国とか行政というのは、責任を取るとか解決をするとか、誰も考えないところなのだということが映画にはっきり描き出されていた。国も県も裁判を重ねれば重ねるほど水俣病の認定基準が間違っていると言い逃れできなくなって原告を「認定」することで裁判を幕引きさせる。司法も基準が間違っていたと断定しない。ちょうどNetflix米倉涼子の「新聞記者」の配信が始まり、Amazon primeで映画版「新聞記者」 を再視聴したばかりで、国の不誠実ぶりがオーバーラップした。「新聞記者」のほうが隠蔽してしまう話なので事はより深刻。根っこは同じだろう。

最近、旧約聖書の「コヘレトの言葉」を読んでいる。興味深いのはコヘレトが、権力者は、汗水垂らして働く弱いものから搾取するが、権力者には逆らうな、と言ってるところがある。心情的に、権力には立ち向かうところじゃないの? コヘレト曰く、逆らって命を落としたら元も子もないだろう、生きてこそ、だと、国を相手に裁判で争う被害者の姿、和解案を飲む被害者の姿を見てこのくだりを思い出した。『水俣曼荼羅』の第3部「悶え神」で、「(石牟礼道子さんが)もう赦すって言ってると聞いたが(本当か)」原監督が石牟礼さんに問うくだりがある。「杉本栄子さんか言い出した。憎めばいつまでも苦しい、赦せば苦しくなくなる、苦悩の果てのことだろう。無念」

 

 

#水俣曼荼羅 #原一男
#横浜シネマリン

(2022年1月16日鑑賞)