記録と日常

学びと活動とつぶやきと。

放送大学、2学期振り返りと2024年度は休学、そして退職の話

次年度は休学決めました。仕事も3月末で辞めて少し休んで先の目途が立ったら2学期から復学かもですが…とりあえず、2023年度2学期の振り返り。

 

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おかげさまで、今回は、オンライン授業の「キャリアコンサルティング概説」の最終レポートも〆切前日には出したし、積み残した「教育社会学概論」も通信指導2周、過去問3期分やって、単位認定試験日初日に提出できたし、いつになく余裕もって取り組むことが出来ました。どちらも基礎科目で難易度も低かったからね。そして、今回も過去問3期分もっててよかったです!気になる科目は過去問前年から保存しておくべし。

 

で、休学です。仕事もとうとうこの3月末で辞めることにしました。専業主婦14年、主婦兼業パート、契約社員足掛け8年で、その間、あちこちの市民団体でボランティアで役員を掛け持ちしつつ、週末は学童、中学、高校球児のサポート10年もしてきてだいぶ、疲れました。自分では生活を意志をもってコントロールできないほど疲れてしまっていたところへ、仕事でも賃金は変わらないのに責任が重くなるばかり、もう限界でした。転職は正直、しんどいのですが、スキルを買ってくれるような働き方を模索しようと思っています。長く働いてできることは結構あるのですが、資格を一つももっていないので資格をとりつつ、放送大学で卒研をやる準備とか、働き方とか生活とか、いろいろ整理してから、また走りだそうと思います。

学校美術の課題を点数化するということ~令和5年度中学校生徒美術展

うちの子どもの作品が展示されるということなので地元公民館に行ってきました。子供はいわゆる上手い作品は作れないけど、オリジナルなどちらかというとくすっと笑えるじわる作品を作る子。今回美術担任がめちゃ推しで評価してくれたそうで(本人的には会心の出来ではなく、ビミョー、どこが評価されたのかよくわからないと言っていた)楽しみに見ました

 

地元市立中学校の美術の時間に1~3年生の子どもたちが取り組んだ課題の作品展。いわゆる参考作品にピックアップされたものが一挙展示されていました。

 

中学生が3年間の美術の時間に取り組む課題は、以下。

  • デッサン(主に、身近なもの、自画像)
  • 色彩構成(色相、色彩、レタリングなどデザイン)
  • 彫刻・工芸的作品(模刻、染め、堆朱、消しゴム判子、水墨など)
  • 抽象表現(コラージュ、立体作品)

 

写真は撮り忘れてないのですが、どれも課題のテーマがきちんと定められており、それにのっとって表現された作品ばかり!レベル高い!

デッサンも、本当によく対象を見て書き込まれているし、自画像は内面がよく表れてるんじゃないかなぁと作品を見ていて感動したし面白かったです。

 

うちの子どもの作品は、抽象表現の課題でデッサンとモダンテクニック(現代絵画表現のテクニック)を素材として使ったコラージュ作品。抽象表現なので、画面構成上、どうしてそういう構成にしたのか、解説書を作成するところまでが課題でした。

 

造形表現は、意図を視覚的に人に見せる形で表現するもので、自由にしていいし、どうしてそういう表現になったかなど、言語化する必要はないのですが、子どもの美術の先生は、作品を点数化するにあたっては、その子がどういう意図がその表現にしたのかがわからないと点数にしにくいということで、そういう解説書を添付させていると言ってました。

 

別の話ですが、知人の元美術教師は、デッサン作品などは、点数化がツライといってました。デッサンは、要はよく対象を見て、作家の内面や、対象の本質が画面に表現できているかどうかが重要で、写実的に上手な作品かどうかは関係ないんですね。(美大受験で求められているデッサンでは、技術力も求められているのでまた別の話。)そんなわけで、一見稚拙な作品でも鑑賞者目線でめちゃめちゃ味わい深い作品(好きな作品)にはいい点が付けたくなる。でも万人がそう思うかどうかは微妙だったら、やっぱりいい点はつけられない。逆にめちゃめちゃ技術的にうまくても、うまく見せてるなとか、何考えてこういう表現してるのかが感じられない作品(悪く言うと目に留まらない)はあまり評価高くつけるのは躊躇すると言ってました。そつなく何でもこなせるタイプの優等生だと、なんで最高点がつかないのか、と食い下がられる場合もあって非常に難しいと。

 

そんな中で、参考作品にピックアップされてる作品は、意図が感じられる面白いものばかり。少なくとも作者が真剣に、楽しんで取り組んでる様子がわかります。自画像は、知ってる子なのに全然イメージが違うこともあるし、知らない子でも、こんな子なのかなぁ~と想像できるのです。

 

1年生の作品は、小学校の延長の自由に絵を描くところから一歩進んで視覚的表現の基礎を学び、なんだかぎこちない作品、でも一生懸命が見える。2年生はデザイン要素の作品課題多め、色とか形とかテクニックの学びを経て、3年生は、表現方法と表現したい気持ちが結びつき、作者の人となりが、ぐっと細かい深いところまで表現されている。中学校の美術のカリキュラムはなかなかうまくできているなぁと思います。

 

中学生って、私とあなたの区別がはっきりしてきて、内面世界がぐんと広がる時期なので、美術の授業を通して一人一人が考えて表現に結びつける練習ができるといいよねって思います。部活や受験で忙しいし、美術も教科として点がつくのでしんどいかもしれないけど、自分を表現できるって、自分の外部とコミュニケーション取るには必須で、コミュニケーションスキルに結びつくものだから大事にしてほしいなぁ~

2023年度2学期 「キャリアコンサルティング概論」新規登録

久しぶりに放送大学について。

2023年2学期はオンラインの1単位科目「キャリアコンサルティング概説(’20)」を履修登録+積み残しで「教育社会学概論」。

2019年、2020年と選科履修生を続け、2021年1学期は科目履修生で履修を続けていましたが、高校野球のサポートも忙しく勉強どころではなかったのでいったん休むことにしていたものの、やっぱり、放送大学の放送授業が恋しくて…また卒業研究をしてみたくなり2022年2学期から全科履修生になりました。

とはいえ忙しい状況は変わらないので2学期に履修した3科目のうち閉講になってしまう「人間にとって貧困とはなにか(’19)」のみ単位を取得して、「心理学概論(’18)」と「経済社会を考える(’19)」は落単することに・・・

 

「経済社会を考える(’19)」は大好きな坂井素思先生がご担当なので、頑張りたかったのですが、通信指導課題をやってみたら全然正解が選べない…なんでその答えなのかわからない。国語力、読解力の問題だとは思ったのですが、これは試験を受けてもダメそうだと判断してあえての落単でした。そして、2023年1学期は野球のサポートも大詰め、最後の夏の前で勉強どころでなかったのですが、なんとか積み残しの2科目とも試験は合格できました。

 

大きな声では言えませんが…「経済社会を考える(’19)」の問題、私は過去問を3期前からもっていて、ちょうど3期前の問題と同じ出題が多かったので助かりました。

 

教育社会学系の研究(ボランティアのことか、生涯学習か、あるいは脱学校論か定まってはいないのですが)をしようかな…と思っていたので、2023年1学期は「教育社会学概論(’19)」を履修していましたが、こちらは2学期落ち着いて学習しようと思います。

 

もともと、この2学期は、マンションの管理組合で輪番で理事長のお役が回ってきたり、長年参加してる病児の親の会で役員を引き受けていたり、やっぱり変わらず忙しいので「教育社会学概論」のみ単位を取得する方向でやろうと思っていたのですが、受けようと思っていた資格試験の試験勉強を先送りすることにしたので、まぁ頑張ってみようという感じです。

 

ブログ再開/高校野球の話

ほぼ2年ぶりくらいの投稿です。

振り返れば、忙しすぎて本を読んでそれについて考えたり、綴ったりすることや、展覧会を観て感じたこと考えたことを整理してブログに書いたりすることがほとんどできなかった2年でした。そういう生活に、一区切りがつき、ブログも再開できれば…という気持ちになってきたところです。

 

さて、この2年弱、何をしてたか。とにかく球児の息子の応援とサポート一色。

つまりこのエントリーのタイトルにある「高校野球の話」です。

 

息子が高校に入学したのが2021年4月。強豪とういうほどではないけれど、わりと本気で高いレベルのプレーがしたいという生徒が集まる高校に入学を決めたため、もれなく保護者の私もその渦に巻き込まれました。今日から高校生という4月1日から、朝早くからドカ弁当を作り持たせ、週末は練習試合で応援のため一日中グランドで過ごすという生活、想像以上に親子ともども心身捧げた2年半でした。

 

冒頭に書いた通り、この2年半は、ウィークデーは仕事(フルタイム)、週末はグランドで休みなし、日々の暮らしを回すだけで精一杯で、本を落ち着いて読んだり、理論立てて物事を考えたり、文章に書いたりすることは、まったくできませんでした。止む無く仕事は週5から週4勤務に変えてもらい、休みを1日確保したものの、様々な用事で1日が終わってしまい、休めるはずもなく、なんとか日々をやり過ごしていました。

 

けれども、同じ目標をに向かって頑張る子どもたちを、保護者もまた一緒になって応援するのは楽しかったです。高校にもなって親がかりで部活の世話をするなんて…見方によっては、非常識ですが、まぁこれは今流行りの<推し活>だったなぁと終わってみたら思いました。そして、終わってみたら、思った以上に自分が抜け殻となってしまってて、こんな忙しい生活も終わったのだし、今まで集中できなかった勉強や本を読む生活に戻れる!と喜んだものの、なかなかそちらへ移行できない自分がまだいます。息子はもう野球してないし今後はたぶんしないみたい。だったらプロ野球の試合見に行こうかなぁとか思ってしまうほど(実は私、プロ野球は生で見たことがないのですが!)。ずっと続けてきた対話型美術鑑賞のボランティアや放送大学で学ぶことは、引き続いてやりたいことではあるけれど、また少しずつ取り組めたらよいなぁと思います。

 

(2023/7/7 夏の神奈川県大会開会式@横浜スタジアム

(最後の公式試合の朝@平塚球場

 

 

『水俣曼荼羅』DVD-BOX発売決定

 

 

もう一度見たいと思いながら長時間上映の作品ゆえ、劇場追っかけ鑑賞は断念していた。まさか、DVDがこんなに早く出るとは。嬉しい。

 

 

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【映】水俣曼荼羅

ジョニー・デップの『MINAMATA』は写真家ユージン・スミスと伴侶アイリーンの伝記的フィクションだった。これを見に行ったとき、始め、ドキュメンタリーを期待しながら、いやこれはフィクションと打ち消す自分があった。どう見ていいのかわからない違和感をもちながら、最後はストーリー映画だったなと見終えた。なんとなく消化不良だった。

 

そして、『水俣曼荼羅』というドキュメンタリー映画を知る。浅学にしてドキュメンタリー映画監督原一男は知らなくて。「水俣」つながりでこれは見ておかないとという気持ちになった。

docudocu.jp

 

しかし、休憩を入れて7時間の上映時間…

 

正味6時間というとてつもない長さに尻込みしつつ、ここで見逃したらこの先見る機会はないだろうと勇気を出して見に行った。ところが、そんな不安はすぐに吹き飛ぶ。登場人物はみな画面の中で魅力を放ち、それぞれに愛おしい大切なストーリーがあり、何より面白い。どんどん引き込まれた。

上映終了後、思いがけず監督の舞台挨拶を聞くことができ、パンフレット代わりの『製作ノート』にサインをもらえたのもラッキー。

原監督は挨拶の中で、この映画は、見る人によっていろんな見方があって、ツイッターで感想をみると「この映画は恋愛映画だ」と言う人もいれば、「祭り」だと言う人もいる。「バディもの」という見方もできる、と言っていた。なるほど。確かに。ドキュメンタリーだけどもエンターテイメント的に楽しめる。監督もそういうふうに作ったと自信を込めて語っていた。

 


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それにしても…
国とか行政というのは、責任を取るとか解決をするとか、誰も考えないところなのだということが映画にはっきり描き出されていた。国も県も裁判を重ねれば重ねるほど水俣病の認定基準が間違っていると言い逃れできなくなって原告を「認定」することで裁判を幕引きさせる。司法も基準が間違っていたと断定しない。ちょうどNetflix米倉涼子の「新聞記者」の配信が始まり、Amazon primeで映画版「新聞記者」 を再視聴したばかりで、国の不誠実ぶりがオーバーラップした。「新聞記者」のほうが隠蔽してしまう話なので事はより深刻。根っこは同じだろう。

最近、旧約聖書の「コヘレトの言葉」を読んでいる。興味深いのはコヘレトが、権力者は、汗水垂らして働く弱いものから搾取するが、権力者には逆らうな、と言ってるところがある。心情的に、権力には立ち向かうところじゃないの? コヘレト曰く、逆らって命を落としたら元も子もないだろう、生きてこそ、だと、国を相手に裁判で争う被害者の姿、和解案を飲む被害者の姿を見てこのくだりを思い出した。『水俣曼荼羅』の第3部「悶え神」で、「(石牟礼道子さんが)もう赦すって言ってると聞いたが(本当か)」原監督が石牟礼さんに問うくだりがある。「杉本栄子さんか言い出した。憎めばいつまでも苦しい、赦せば苦しくなくなる、苦悩の果てのことだろう。無念」

 

 

#水俣曼荼羅 #原一男
#横浜シネマリン

(2022年1月16日鑑賞)

「絵を読み解く」言語からのアプローチ

美術館の小学生向け対話型美術鑑賞プログラムのボランティアファシリテーターの活動に参加し始めてから足掛け4年になるが、コロナ禍でプログラム自体が中止になったり、しごとの都合で予定が合わず参加できなかったり、実際に子どもたちの前でファシリテーターとして立てた機会は数えるほど。技術はいまだに未熟である。

 

そんな時に 対話しながら「絵を読み解く」【言葉のスキルアップトレーニング】というオンラインプログラムを見つけた。主催は元国語教師という北村江奈さん。高校で国語を教える中で対話型の指導を取り入れていた経験をいかし、言語の読解力・表現力を高めるために、絵をみることで「観察力」「分析力」「対話力」を養い実践する本講座を主催されている。美術ではないところから「絵」を読み解くアプローチ、というのが面白い。

どんな手法で絵にアプローチしているのだろう、VTSの参考になればと思いと受講することにした。

 

この講座では、まず、ざっくり作家と作品の時代背景が説明される(導入)。その後、講師の立てた問いに対して、鑑賞者は、意見とその根拠を述べていく。意見を聞き合い、他の人に意見を聞いて自分の意見をさらに展開して述べるシーンもあった。いくつかの問いを経て、最終的にこの絵のテーマは何だと思うか、という問いに答えることで、鑑賞者は、絵のテーマにたどり着けるし、他の人の結論を聞くことで思考を補完をできる。また、作品の背景が前提知識としてあるので、大きく逸脱することもなく、テーマにたどり着けず、モヤモヤして終わることもあまりないだろうと感じた。

 

いつも自分がやってるVTSでは、「この絵の中で何が起きていますか?」という問いからスタートする。この問いは、発言に制限が一切なく自由であるが、ときには、何から話していいかわからないと戸惑ってしまうこともあるだろう。けれど、この講座では、あらかじめ問いが設定されているから、とりあえず、何を見ていいかわからん!という状態にはならない。多分答えやすい。予め、そう思った根拠を述べて、と言ってるので鑑賞者は「自然と」根拠込みで思考する。

 

ファシリテーター目線だと、「何が起こっていますか?」と問うと、どんな答えが返ってくるか予想もつかなくて、思いもよらない発言で翻弄されることもある。それが面白いところなのだけど、技術の未熟な私などは、発言のどの部分に次の問いかけをして絵に近づけていけば良いのかわからなくなり、絵の中にある物探しで終わってしまうことが多い。この講座のようにある程度内容が限定された問いだと、ある物探しでなく、問いの範囲内ではあるが、様々な角度から意見聞くことができる。そして講師の立てた問いに従って答えていると、自然と、絵のテーマにたどり着く。鑑賞者は、あぁ、絵を「見た」「鑑賞した」という満足感も得られると思うのだ。

 

そして、この「問い」がすなわち、絵を読み解くキーワード=小見出しになっていて、鑑賞の肝なのだ。「テーマ」が読み解けるように「問い」を構成するために、講師もまた前もって絵を分析してるはず。(これは教師として授業準備の経験が生きている?と思いました)この作業が、私が研修でやった作品研究=ひとりVTSなのかな…と気付かされた。

 

VTSでは、さまざまな意見を聞く中で、ファシリテーターがバラバラな一つ一つの意見に、「時間の話」とか「季節について感じた」とか「描かれてる人が楽しそう」とか小見出しをつけ、同じ種類の小見出しの意見を結び付けて(Aさんは○○と言ってくれたけど、Bさんも××と言ってくれて同じように「△△」の話をしてくれましたね)という事実を場のみんなに伝えて、その絵についての読み解きを、場で共有して、その絵がどういう絵なのかみんなで考えるということをしている。

 

VTSをするときは、ある程度、作品についてどういう「小見出し」が立つのかということを研究しておくと、子どもたちの思わぬ意見に翻弄されないで、じっくり聞いて絵の本質に迫れるVTSができることは研修を通して知っていたけど、そもそも、その分析が苦手だったので、この講座で別のアプローチを体験して少しヒントが見えた。次のVTSに向けて、作品研究してみよう。参加してよかったー

 

www.street-academy.com

2022年1月22日受講。

 

ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を鑑賞。

www.museumanote.com

 

 

北村先生のブログ

対話型美術鑑賞(VTS)|北村江奈|note